観光地化する日本
日本全体を考える視座
一歩引いた目線が大事。
とよく言われます。視座なんていう言葉も最近よく使われています。
今回はそんな話です。
外国人が増えた昨今の状況を一歩引いた目線から考えてみましょう。
一般的に環境客が増えることは良しとされています。
もちろん外国人が日本でお金を使ってくれるので、日本の経済が潤います。
外貨、例えばアメリカ人が来たらドルを円に替えて円で飲食や宿泊費を払ってくれるので納得です。
ですが、果たしてそれは本当にメリットだけの話なのか、ということを深掘りします。
その商売は、どれぐらいの持続性があるのでしょう?
1年2年、で考えればもちろん続けられるでしょう。
では5年10年はどうでしょう?
このめまぐるしく変化するこの時代に、本当に外国人客がきてお金を落としてくれることにデメリットは無いのでしょうか?
観光社会学なんかをしっかり勉強したわけではありませんが、これだけは言えます。
海外旅行は余剰の遊びでしかありません。
つまり、余剰がなくなればその仕事はその瞬間に無くなります。
また海外旅行に行くならどこへ行きますか?
色々な要因が考えられる中で、複雑な理由で選ばれるのではないかと思います。
その時のどこへ行きたいかというフィーリング、
円安円高のタイミング、
世界情勢、
本当にさまざまです。
ちなみに、つい最近のコロナがわかりやすいですが、何かあれば海外旅行は非常に行きにくくなります。
国の魅力
もう一つ別の角度から突っ込んで考えたいのは、なぜ日本にくるのか?です。
昨日は高野山の魅力というテーマも考えてみました。
今日はもう一歩大きな視点の日本の魅力についていきましょう。
留学から帰ってから、日本で会う外国人には必ずと言っていいほどする質問があります。
「Why did you choose Janpan?」
なぜ数ある旅行先の中から日本に来たのですか?
ほとんどの外国人が「日本に来てみたかったんだよ!」「日本が好きなんだ」
と言ってくれました。
自分が海外旅行に行く時を考えてみてください。
必ずそう言うでしょうか?
ちなみに、僕は家族旅行でシンガポールとカンボジアに行ったことがあります。
理由はその時、行きやすかったからです。
逆に言うと行きたかった場所ではない。
自分が一人で行ったアメリカ、インド、ネパール、バリなどは行きたかったからです。
ちなみにもう一回行きたいと思っているのはネパールとバリだけです笑
つまり、本当に好きな国になるのは何かしら魅力があるからです。
では日本の魅力は何なのでしょう?
外国になくて、日本にあるもの。
こんな短いブログで語り切れるものでは無いですが、一言でまとめるなら「歴史」です。
高野山然り、京都然り、出雲大社然り、伊勢神宮然り。
日本は世界で一番続いている王族の国だと知っていますか?
世界一長く、同じ王朝の国です。
つい数十年前までは二番目でした。
つまり、同じ系譜をたどれる文化がこれほど長く続いている国はもう日本以外にないわけです。
果たして、それを魅力として捉えている日本人はどれほどいるのでしょう?
僕が知り合った人の中でそう話してくれるのは、世界を色々旅した外国人がほとんどでした。
観光地化した土地の末路
ちなみに観光地化した土地がその先どうなるかは知っているでしょうか?
簡潔にまとめると、資本家が使い捨ての商売をして、ピークがすぎると撤退します。
そして程なくして崩壊が訪れますが、それを防ぐための絶対条件が土地を売らないことです。
観光地の要は、なんと言っても土地です。
土地オーナーは観光地が賑わえば賑わうほど潤います。
日本の崩壊が訪れると警鐘を鳴らす一番の原因はその土地を外国人に売ってしまっていることです。
高野山では流石に外国人のお店はまだなかったと思います。
が、大阪では難波の一部が中国になっています。
そこでは中国語が話され、中国語のメニューしかなく、中国人のお客さんで埋まっています。
それはもう中国です。
観光地化された場所の末路としてハッピーエンドは世界的に見てもあまりないのかもしれません。
もう一つの理由は人が多く来すぎると、環境とマナーが悪くなります。
旅行に来ているので旅の恥は書き捨てで、ゴミをちょっと捨てても自分にはあまり関係ありません。
その人の国では普通のことかもしれません。
また、人が大勢来ると排気ガスも増えます。何かにつけて消耗が大きくなります。
その補修に行政がまた税金を投入します。
結果そこまで収益も見込めなくなります。
つまり、汚れるだけ汚れて結局収益も長い目で見ればそこまで多くない、と言うのが僕の見解です。
そうならないためには、どうすればいいのか?
本当に好きな人が、その文化を見たいからくる場所の観光にしなければなりません。
高野山ではわざわざ山の上まで上がってきて、弘法大師の偉業の足跡を見たいからくる方が多いです。
それは少なからず外国人の方もそうだと思います。
ただ、お寺に行きたいのであればアクセスのいい京都にいっぱいあります。
そういった観光地は長く大事にされながら、そして高野山を守り続ける僧侶の方々の思いと相まって持続可能な世界が山の上に残り続けているのだと思います。
そんなことをこの高野山で感じました。
国語とは直接関係がないのかもしれませんが、そんなことを考えるのも国語の一つだと思います。