災害と認識

災害はまだまだ来ると思われる

またまた空いてしまいました。。。

空きすぎて少し反省です。

気を取り直して、本日は大雨の被害についてです。

キャンプ場のある二上山でも先日の大雨の被害がありました。

大阪では大和川が氾濫するといった大きめの被害もあったようです。

それに比べれば幸い大きな被害はなかったのですが、登山道も封鎖しなければいけない被害は出ていたようです。

今日状況を見に、キャンプ場へ行ったのですがキャンプ場内は何事も無い景色でした。

先日から大雨に備えて水路を整備していたおかげもあり、水の逃げ場が整っていたので溜まりすぎることもなく大きな水たまりもありませんでした。

でもこれからも大雨や台風がくるし、なんなら例年以上に増えてきてもおかしくない。。

それにも備えていかなければなりません。

そして、作業を終えてふと道路の方にいていると前を通ったご近所の方が少しご立腹でした。。。

捉え方は人それぞれ

というのも、大雨の後に家の前の道路に土砂と岩がズラーっと並んでいたようです。

その土砂や岩が、このキャンプ場から出ているのではないか、という事でした。

道路はもちろん公道で、山の麓なので公道に沿って用水路が流れています。

他の山のエリアからも流れ出る水も集まっています。

そこにキャンプ場からの土砂や岩も大雨で一緒に流されて、道路にまで溢れかえってしまっていたようです。

その意味ではこのキャンプ場から出たものなので非はキャンプ場の責任かもしれません。

ですが、もちろんそんなことをしたくてしたわけではなくて、なると1mmも思っていないことが起きてしまっています。

不可抗力というか、事故というか起きてしまったことです。

それにご立腹だったようですが、もし整備をしていなかったらどうなっていたのかは考えないのでしょうか?

もちろんABテストのできないことです。整備前には戻れないし、もしかしたら整備しない方が土砂や岩の流出は少なかったかもしれません。

でもそうなったことへの原因究明や、対応など話し合いの態度は無いのかな?と思ってしまいました。

市から注意を受けるだろう、とその方もおっしゃっていたようにお叱りがあったようですが、どうにも他人事ですね。

自分の家の裏山がどうなっているかの確認もなくて、自分の家の前に土砂が来たら文句を言う。

もし山の整備をずっとしなくて、土砂がもっと大きく崩れて家に土砂崩れが来たらどう考えるんでしょうか?

山全体とは言えないまでも、少しでも森を復活させようとしてやっている活動の中身も見ずに、大雨の災害で起きてしまった小さな被害にめくじらを立てる。

そんな風に僕の目には映ってしまいました。

どう生きていきたいかを村単位で見直す

これからの時代は「村単位」での活動が必須だと思います。

AI時代の、デジタル時代に!です。

あえてです。

でないと、もっともっと大企業や資本力の強い会社の1強時代に本当に生きづらくなる未来がやってきます。

わかりやすいのがスーパーです。

商店からコンビニになり、商店街からスーパーに中心が移り変わりました。

今ではそれもネット通販になりました。

もう個人が生き残るにはファンを自分でしっかり作り上げるか、村単位で共同体を作るしか無いと思います。

なのに自分の裏山で活動している人たちの活動内容を何も知らない、となると次の展開についていけなくなった時、簡単に言えば困った時、誰が助けてくれんでしょう?

国は知らん顔です。企業はお金を払わなければ相手してくれません。周りの人は、今まで助け合ってきた人しか助けてくれません。

村単位で、町単位で助け合える世の中になっていく事が、自分を、自分の子供達を守り抜いていく一番の戦い方なんでは無いでしょうか??

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