人生の主人公になる
超相対性理論
よく聴いているPodcastのチャンネルに「超相対性理論」があります。
なかなか考えさせてくれるテーマで深い話を展開してくれます。
今回のテーマは「人はいかにして主人公になれるのか」でした。
なかなか興味深いですね。
和田夏美さんという方がゲストで出られていて、聾者(ろうしゃ)の両親の元に生まれ、手話を第一言語として育ち、言語やコミュニケーションの可能性を研究し続けている活動家。
障害者や社会的弱者が人生を謳歌することや、言語を通じて人生を切り拓いていくことなどを話されていました。
いろんな観点から話が展開され、ついていくのに必死な回でもありましたが、ぜひ皆さんもお時間がある時に聴いてみてください。
人生は映写機
これは聴いてみての僕の感想ですが、人生は映写機のようなものだと思います。
とはいえこれも受け売りですが。。。
自分で自分の人生の主人公だと思える人はどれぐらいいるのでしょうか?
漫画だったり映画だったりだとわかりやすい主人公。
でも自分はそんな主人公のような生き方はできないし。。。
なんていう嘆きを聞くような場面が多い気がします。
ですが、それも考え方一つで全てが変わると思っています。
どんな漫画でも、映画でも、主人公一人だと成り立ちません。
助演男優賞や監督賞など賞もさまざまある、ということは人生は主人公だけが注目されるものではない、という考え方です。
むしろ人間全員が漫画の主人公だと色々な事が成立しなくなります。
幼稚園や小学校の舞台なんかの発表会でも主演の取り合いになったりします。
でも、だんだん大人になるのつれて自分の特色や長所が見えてきます。
そうなった時、それをやっている自分はまさに自分の人生の主人公になります。
なので、自分の人生は自分が主人公の映画のようなものなのです。
一般の人向けに作られている、全員が感動するような熱いセリフを言うわけではないかもしれません。
多くの人を魅了する魂を震わす演技をするわけではないかもしれません。
仲間を集めて冒険に出る物語ではないかもしれません。
ですが、その物語は他でもないあなたにしか描けない一部始終だと思います。
他者と自分との境界線
その物語は始まりは「違う」という気付きからだと思います。
こんな皮肉めいた遊びの言葉があります。
沈没船ジョークという者があります。
船が沈み、乗客を海に飛び込ませたい時に、それぞれの国の人に投げかける言葉として、
イギリス人には「紳士はこう言う時に海に飛び込むものです」
イタリア人には「美女が海で泳いでいますよ」
ロシア人には「海にウォッカの瓶が浮かんでいますよ」
フランス人には「決して海には飛び込まないでください」
ドイツ人には「規則ですので海に飛び込んでください」
中国人には「美味しい食材(魚)が泳いでいますよ」
日本人には「みなさんもうすでに飛び込んでいますよ」
それぞれの国民性を表した面白いジョークだと思います。
日本は右へ倣え、みんなが行けば自分も行く。
学校の先生や親がよく言っています。
「みんなやってるんだからやろうね」「なんでみんなできてるのにあなたはできていないの?」
大きな疑問が浮かびます。
人それぞれ違うからそんな言葉は聞かなくていい、内容によりけりだとは思いますが、究極本当に思います。
全員が同じことをやっていると面白くもないし、結局うまくいきません。
他の人の真似をするなという意味ではなく、他の人ができているからと言って自分もできなければいけないということではない、ということです。
つまり、他の人と自分は「違う」んだと、認識することが一番なんだと思います。
それは親子であっても、兄弟であってもです。
お父さんはこうだったのに、お兄ちゃんはこうだったのに。
そんなことはその子が主人公の人生において、全く関係ありません。
僕が好きな禅の世界でも、「竹」は「なら」と比べないし、「なら」は「竹」と比べない。という格言があります。
成長スピードから色から背丈まで全て違います。人間もそこには違和感を覚えません。
が、同世代の子達だったり、近い存在の子達とそどうしても比べてしまう。。。
まずは周り大人達が、違う、ということを認識することから始めなければいけないのかもしれません。